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<description> （24時間おきに更新中）</description>
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<title>わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫 イ 1-6)</title>
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<description> この物語の特異な輪郭が見えて来たとき、
つき合う価値があるかなという不安がアタマをよぎった。

作者の勝手な空想につき合わされ、
ぐるぐる引き回されて、最後は元の場所、というような。

活字好きな...</description>
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<![CDATA[
 この物語の特異な輪郭が見えて来たとき、
つき合う価値があるかなという不安がアタマをよぎった。

作者の勝手な空想につき合わされ、
ぐるぐる引き回されて、最後は元の場所、というような。

活字好きな僕は別にそれでもよかった、本が読めれば。
でも読んだあと何も残らない
というような読書体験はできれば避けたい。

果たしてそれは杞憂だった。

特異な設定の主人公と共に遠くまで旅をした。
その主人公の切実さに共感した。
自分自身の切実さに通じていると錯覚（？）すらさせられた

不安を燃料にした車に揺られ、うとうとと夢を見ながらずいぶん遠くまで来た。
多分ノーフォークあたりまで・・・。

今、本を閉じ、車は僕を乗せずに行ってしまった。
でも、今も、同じ車に乗っているような感覚が拭えない。

少し遠くまで来すぎたみたいだ。
一人の帰り道は長くて寂しいものになりそうだ。読み進むにつれて、ふいに伝わってくる暗く嫌な予感。描かれる若者たちの真の姿が分かった時に襲ってくる、ガーンと鈍器で殴られたかのような衝撃。読み終わってしばらくしても、死体でも見てしまったような、嫌悪を伴う不思議な感覚が離れませんでした。
何となく予感していたけれど、よくもこんな場所に連れてきて、こんなものを見せてくれたな、と著者を呪いたくなったぐらいです。笑）

小説の特殊なプロットから言うと、なるほど様式には、SF、ミステリーの要素はありますが、その特殊なプロット＝世の中を眺める窓枠、が覗かせてくれるのは、「わたし」や「あなた」も含めた、ごくごく普通の人間の生命そのものの意味ともいうべき、根源的、普遍的な主題です。なので、この小説をSFに限らず何かのジャンルに分類して語ることは、余りふさわしくないかもしれません。（もし、そのせいで読むチャンスを逃す人がいるならば。）

「日の名残り」も彼の傑作には違いありませんが、自分にとってはこの作品の方が衝撃であり、大切な作品になりました。?800円になって、しかも軽くなったのなら、お買い求めにならない理由はありません。特殊な状況にある主人公たちについてはすぐにラストが予想され、その範囲内で物語は終わった。静かで、訥々と物語る一人称の文体が印象に残る。最後まで一気に読んだが、これはやはり純文学なんだろうな。奇妙な設定にする必要があったのかなぁと、ちょと不完全燃焼な読後感でした。 そもそも「提供」とは？
 誰が、一体何を、どのようにして「提供」するのか？

 ロスト・コーナーとは？ 忘れられた土地？ 寮の４階にある遺失物保管所って一体？
 イギリス･ノ−フォークには何があるのか？

 "教わっているようで、教わっていないこと”とは何？
 「ポシブル」って？

 冒頭から、謎がなぞを生み、読者を変な世界に引き込むイシグロの領域。
 
 「ヘールシャム」には一体、何があったのか？
 単行本、この文庫本共通のカバーになっている"カセット・テープ”の秘密とは？

 種明かしはしたくてもできない、寧ろしないほうが絶対にいい、予備知識なく読んだほうが圧倒的に面白い。
 
 （実話をもとにしたのかどうか、イギリスってこんな国だったのかということ･････）

 読みながらぞわぞわと恐怖感を感じました。

キャシーが過去を懐古する形で物語が進みます。
「介護人っていったいなんなの？」という疑問は
キャシーの言葉から少しずつ想像できます。
想像すればするほど、「怖い」です。
不勉強なので実際に知りませんでしたし、
前提条件からして私には理解できない世界です。

そういう特殊な環境下でも、ごく普通に生活し、考え、育ったキャシーたち。
読み進むにつれ、切なくて悲しくなります。
何よりも、その「運命」を受け入れている彼らが怖いと思いました。
そんなの絶対におかしい、と思う私がいました。
迷信でも根拠が無くても、信じたくなるキャシーの気持ちが痛かった。

物語の終わりを知ってから読むとまた違うんでしょうか。
試してみたいと思っています。

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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/02/4334751067.html">
<title>カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)</title>
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<description>文体は饒舌で情緒的、観念的。登場人物は歓喜し絶望し冷笑し絶叫する。その感情の起伏はジェットコースターのよう。

あらすじ的には父親殺しを巡る推理劇と言えなくもない。しかし、メインプロットとはどうみて...</description>
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<![CDATA[
文体は饒舌で情緒的、観念的。登場人物は歓喜し絶望し冷笑し絶叫する。その感情の起伏はジェットコースターのよう。

あらすじ的には父親殺しを巡る推理劇と言えなくもない。しかし、メインプロットとはどうみても無関係に思われるサブプロット、ディテール、登場人物が、要するに枝葉がこれでもかとばかりに繁茂している。いったい今読んでいるこの部分は、この大木の幹につながっているのだろうか？とたびたび不安になり、うんざりしてくる。
たとえば神の存在について登場人物が開陳する持論。それが、先述の「過剰な」叙述でもって延々と描かれる。

第５巻の大半が費やされる訳者による「解題」によって、そうした「うんざり」の大半が相応の意味付けを与えられはするのだが、もし解題なかりせばとんでもない徒労感が読後に残ったことだろう。

ところで、本書が世に出た１９世紀ロシア（もくは欧州）の人々は、この大作をどのように読んだのだろう。
もちろん解題などないわけで、その中でこうした収まりの悪い「過剰な」エピソードやディテールをどう咀嚼したのだろうか。
少なくとも現代日本のスピード感や文化的問題意識においてはどうにも向きあうことのシンドイ諸々の内容も、当時のロシアの人々にとっては同時代性を持った切実なテーマとして捉えられたのかもしれない。
また振幅の激しい感情をもった登場人物のキャラ設定も、当時のロシアの「情緒」からすれば別段の違和感はなかったのかもしれない。
そうとでも考えなければ、この壮大すぎるストーリーをそのまま受け入れるなんてことは出来ようもないと思われてならない。

とはいえ、この作品に触れておくことは「読書経験」としては決して無駄ではあるまい。
その意味でも本書は一読の価値はある。
もう一度読め、と言われたら「ご勘弁を」かもしれませんけど。
 過去、新潮文庫にドストエフスキーの作品が山脈のように連なっていた。「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」････、いずれも大部で読破した作品もあるし、挫折した本もある。
 カラマーゾフはその中でも特に長く、名作といわれながらこれまで読んでいなかった。

 １巻目を読了したが、これまで読了を阻んでいた「呼称の複雑さ（正式名称や愛称、父称などロシア人の名前はややこしい）」「訳文独特のわかりにくさ」はかなり払拭されていて、読みやすかった。
 また巻末に、当時のロシアにおける宗教の情勢やドストエフスキーの宗教的スタンスも記されており、作品自体の理解を助けている。

 文章のつながりの悪いところがいくつもあるが、これは原文のせいであろう。ドストエフスキーは悪文家だったとどこかで読んだことがある。

 それにしても、愛憎が錯綜するカラマーゾフの一家を巡る面々、これからどうなるのか非常に楽しみである。人物描写はさすが。
 

 
出版社は、画期的な新訳と宣伝しますが、翻訳臭のする文体で書かれたふつうの訳文です。昔出版された本をお持ちの方は、わざわざこの本を買ってまで読む必要はないでしょう。「昔、途中で挫折したが、今回は読めた！」という方は、年齢を重ねてこの小説の面白さがわかるようになったということであり、この本のおかげではないでしょう。週刊新潮５月22日号で取り上げられているとおり、この訳書にはおびただしい誤訳がある。指摘した「ドストエーフスキイの会」のHPによると、誤訳・不適切訳は、検証された第１巻だけで100以上。全巻では数百箇所に上るという。しかも、その多くが初歩的誤りであり、チェックの杜撰さは否みようがない。実際、誤訳のほとんどは先行訳では正しく訳されているのである。

それだけではない。その後の対応に不信が募る。１月末以降、訳者・出版社は、指摘をなり、脱落も含めて第１巻の40数箇所を第20刷と22刷で訂正している。ところが、このことは明記も公表もされていない。しかも、上記週刊新潮で誤訳訂正について質された訳者は、「ケアレスミスが10箇所程度。その他は解釈の違い」と弁明しているのである。残念ながら、これは事実に反する。現に40箇所余りを訂正しているのがその証拠であり、また、その大半は上述のように「解釈」以前のレベルの誤訳だからである。

問題は更にある。訳者は、先の弁明の如く大量誤訳の事実を認めていない。従って、第１巻の残り、そして、巻を追って増すという第２巻以降の膨大な誤訳はいまだ手つかずのまま増刷され続けているのである。

苦しいことではあろうが、訳者・出版社は、誤訳の実態を率直に認め、もう一度原文に立ち返って全巻を徹底的にチェックし直すべきである。そして、できるだけ早く改訂版を出してほしい。それが、読者、また、作品に心血を注いだ原作者に対して果たすべき道義的責務ではないか。なお、誤訳の中には、読解不足に由来するものもあり、また、恣意的誤訳も散見する。これらも是非正して頂きたい。

ドストエフスキーの魅力を広く世に伝えた訳者の功績は大であり、読みやすさを目指した新訳の意図に異論はない。問題は、翻訳の基礎がおろそかだったことである。これでは、作品の読みを深めることは出来ない。新訳が信頼できる翻訳に生まれ変わることを願いたい。
以前、古典が古典たり得るのは時代を経て様々な読み方や解釈を内包していくからだ、という文章を読んだことがあります。これは逆に言うと、多用な解釈を受け入れ切れない作品は古典にはなり得ない、ということです。この観点から見た場合、「カラマーゾフの兄弟」ほど古典に”向いている”作品はなかなかないでしょう。完璧な構築物として壮大な物語が紡ぎ出されている一方、書かれるはずだった「第二の小説」が著者の死によって書かれないままになっている。これほど読者の想像力（妄想力）をくすぐる作品も珍しいです。

シューベルトの「未完成」とかのレベルじゃないんですよね。ベートーヴェンの「第九」を聴いた後に「これは実は第一部で、残り半分の第二部の方がメインなんです」と言われたようなもの。ああ、なんてこと。

もはやどこまでがドストエフスキーの思惑通りなのかわからなくなるほど、様々な読み方をなされてきた作品ですが、未だに新しい読み方や妄想を受け入れ続けているのには脱帽です。特に911テロ以降、テロル文学としての「カラマーゾフの兄弟」が注目されたりもしてますし。どんだけ懐広いんですかね。ホント恐れ入ります。

こういう古典文学は、やっぱり読んでおくべきだと改めて思い知らされました。読まずに一生を送るなんて絶対人生損してる。
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<title>ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)</title>
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<description>２０歳くらいの時に読んで、何が面白いのだろうと思ったのですが、
この本の最後の文章は、大人になった今でも、なぜか時々思い出します。
友達やかつての恋人を、今ではどこでどうしているかも知らない相手を、...</description>
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２０歳くらいの時に読んで、何が面白いのだろうと思ったのですが、
この本の最後の文章は、大人になった今でも、なぜか時々思い出します。
友達やかつての恋人を、今ではどこでどうしているかも知らない相手を、急に懐かしく思い出すことがあります。
そういうときに、少年が最後に書いていたことを思い出してたりして、結局彼は愛情深い人間だったんじゃないかなあと考えたりします。そういうとき、また読み返したくなります。
不思議な魅力を放つ一冊。やはり名作なのでしょうね。
『読み易さ』。とにかく読み易く、あまり本を読まないという１０代後半の学生さんには是非とも一度は読んでほしい。難しい言葉も使われていない為、無駄に頭を使うことなくすんなりとストーリーにワープすることができるはず。
（個人的には英語力をもっと付けて原文で読みたいところ.....）

大人と子どもの中間であるホールデンの白黒付け難い微妙な心境がまるで過去の自分を望遠鏡で眺めているようで非常に考えることが多い。
"現実社会"を知ってしまったからこそ分からなくなってしまったこと。知らないからこそ分かること、見えること...。
大人と子ども。嘘と真実。矛盾と逆説のなかで生きるということを悟らさせられるたのが私がこの本を読んだときの収穫である。ファンタジーやＳＦのような想像のなかでの感動ではなく、もっと身近な感覚での。

私たち１０代後半の学生は特に大人と子どものボーダーが曖昧であるからホールデンの社会批判、あるいは自己嫌悪、混沌とした視界の中のストーリーに強く感じるものがあるのではないだろうか？っと読めました、この本。 
野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』は文体が読みにくく、３年もかかって読めなかったのだが、これは一気に読んで２日で読めた。さすがは村上春樹、米語翻訳うまいなー。 
ということで個人的に、かの「The Catcher in the Rye」を読みきれたというだけで感動。 

そんなわけで読みやすさにかけては野崎孝より村上春樹の方に軍配が上がると思うけれど、ネットで書評を見てみると、野崎孝訳の方が好きという人も結構いるんですね。要は村上春樹は意訳しすぎてる･･･といった理由で。 
でも時代に応じて表現の仕方って変わるものであって、かつての訳を現代語訳（？）にするってのはそんなに悪いことじゃないと思う。それに訳者によって訳し方が違うのは当たり前じゃないかとも思う。だから、どの翻訳が良いかってのは大方言うことなんて出来ず、読者個人の感性にぴったり合うものを選ぶしかないんじゃないかなー。 
悔しかったら原著をそのまま読むしかない･･･と、そう思う。 

さて本書はホールデン・コールフィールドという１６歳の高校生が主人公。 
彼は英語以外の授業に対してやる気がなく、１２月のクリスマスを迎える頃、３つ目の高校を退学となってしまう。このことを家族に知られるまでのしばらくの間ニューヨークで時間をつぶすことを思いつき、背伸びをしようとしたり、いろんな相談をしたいのに相手が気分が悪くなるような冗談で茶化してしまったり、その他イロイロと考えたり･･･。 

起承転結でメリハリのある物語ではなく、ダラダラと思っていることを延々と誰かに話しているような書き方なので、読み始めはちょっと違和感があるけれど、精神的な脱皮をしようとモガいている少年の裏表のない、みっともないことや滑稽なこと含めた思い切った吐露に思わず読み入ってしまった。 

人によって子供から大人になるルートやタイミングって違うんだろうけど、きっとみんな人生のどこかでホールデン・コールフィールドになる時期があるんじゃなかろうか。 

この本を読むことができるタイミングって人それぞれ違うかもしれないけれど、是非読んで欲しい一冊。 
っていうか、自分がもう一度読み直しときたい一冊。 
「赤頭巾ちゃん気をつけて」の流れから読まれた「ライ麦畑でつかまえて」の時代では，まだまだ少数派だった，経済的余裕のあるアッパーが中高から子供を有名私立に入れる風潮が，今やそれほど珍しいことでもなくなっているこの時代に，新訳で本棚に並ぶ「キャッチャー〜」はさらにまた新鮮である．あの頃はアメリカでも日本でもプチブル的だと批判の対象にもなったが，その時代にもがく１０代の男の子，女の子の心理的葛藤の描写は，今も残るにふさわしい文学的価値があり，サリンジャーの魅力再発見の再読となった私は原本に忠実でなくとも、村上氏の訳で読んでサリンジャーの言わんとすることは伝わるんじゃないかと思った。自分は充分にライ麦畑を堪能できましたし。ていうか、そんなに原本に忠実にしてほしいなら自分で原本買って翻訳すればいいじゃないか。他国の言葉を自国に置き換えるなんて難しいこと。そもそも外国小説訳なんて完璧な訳がない。1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となっきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。 ――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら（いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない）と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
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<title>グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)</title>
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<description>衝撃的でドラマティックな展開があるわけではないが、とてもリアルな展開とキャラクターの人間臭ささがあるため、読後数ヶ月経った今も妙に生々しく記憶に残っている。あらゆる面で空虚に満ち、心情によって変化す...</description>
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衝撃的でドラマティックな展開があるわけではないが、とてもリアルな展開とキャラクターの人間臭ささがあるため、読後数ヶ月経った今も妙に生々しく記憶に残っている。あらゆる面で空虚に満ち、心情によって変化する情景は文学的。
ギャツビーが纏ったあの要素は誰しも投影できるモノだが、彼はとてもスマートで本物以上に魅力を放ちセクシーだった。

それにしても村上氏の翻訳は素晴らしく、ウッカリすると翻訳本ということを忘れてしまう程、紡いだ作品を丁寧に織り直している。村上春樹の新訳による十数年ぶりの再読。私は彼の翻訳を必ずしも好まないが、この作品は満を持しての出版だけに、日本語としてよく練られ、大変優れていると思う。

「男はなぜ初恋の女性を忘れられないのか」ということが方々で論じられるほど、これは普遍的事実であるらしい。一方で、かなり理知的な判断のできる女性が、そういうことを「気持ち悪い」と表現したのを聞いた経験がある。左様に、この件についての男女差は大きいのかと思う。環境の違いであるのか、生得の資質の差なのか。私は後者の可能性を考える。これは要するに「過去」と「現在」との相克であり、種の保存について女性の方が必然的に現実的たらねばならないという事情があるように思えるのである。儚い過去よりも現実の、眼前の男性の方が、子孫を残すには有効であるからだ。

ギャツビーは結局「過去」に殉じたのである。思い出の女性は年老いることもなく、よき記憶のみが時とともにより美しく輝きを増し、当の女性さえ支えきれない虚像となって、ギャツビーの心を支配したのである。デイジーは当たり前の女性として「現在」を選んだに過ぎない。

男性にとってこの作品は、限りなく切なく美しい。しかし、女性にとってはどうなのだろう。「気持ち悪い」作品でなければいいが、と思う。私は、村上訳シリーズ（？）を読みました。出版順ではなくて
「ロング・グッドバイ」「ティファニーで朝食を」に続いて三冊目です。

フィッツジェラルドを初めて読むわたしにとって、彼特有の秀逸な言い回しに
慣れず、リズムに乗れなくて、前半は読むのがきつく感じられした。
しかし、中盤以降は一気に読み終えることができました。文章への慣れもありま
すが、それ以上に、主人公同様に、ギャッツビーという人に引き込まれたからだ
と思います。現代風に言えば、ストーカーと目されてもしかたのないギャッツビー
には、どこか現代にも通じる人間の縮図を感じました。

ふと、村上氏が「ロング・グッドバイ」のあとがきで、「著者はこの小説を書く
に当たって、フィッツジェラルドの＜グレート・ギャッツビー＞のことが脳裏に
あったのではないか」といった内容のことを書かれていることを思い出しました。

ロング・グッドバイのラストで、テリー・レノックスが自分の左胸を指して、か
つてここにはたしかに何かあったんだ（でもいまは何もない）と言うのですが、
それと同様に、ギャッツビーにも、かつて何かがあったはずんです。今は失って
しまった何かが。

前者は愛する女を捨てて金持ちになり、後者は愛する女を取り戻すために金持ちに
なります。いずれも裏街道と手を組んで、何かを捨てているところは同じです。すごい、これ。
わたしの大好きな「ノルウェイの森」の中で、名前だけ出てきた小説の訳本。
村上春樹さんの熱い思い入れが、ひしひしと伝わってきました。とっても。
あまりにも「完成された」英文を、その美しい文章の風味と、意味を損なわずに異なる言語に移し変えるというのは、至難の技だったと思います。
この翻訳を決行できるようになるまでに、２０年もの歳月を必要としたとのことで、村上先生にとっては、すごく意味のある重要な仕事だったようです。
そのおかげか、この小説の魅力を余すことなく堪能することができる訳本に仕上がっています。
独特の表現も良かった。
繊細な描写でもクリアカットに表現されるのではなく、なんの脈絡もなく暗示的、多義的な言葉が綴られていたりするけれど、そこに読み手が介入するスペースがあり、想像力を大いに刺激されます。だから、細部を丁寧に感じ取ることができるというか、感覚的に読み取ることができて、印象として後まで残り易いのだと思います。
まるで一本の映画を観たかのように、各シーンが色鮮やかに蘇ってきます。
人物の描写も生き生きしていて、セリフの流れをみても細部に拘りを感じました。リズムをつけ、素敵なメロディのように流れていく。シーンごとに、大きく音色が変っていくけれど。
皆、この本の中で生きているのだと思う。

でも、こんな恋ってあるだろうか？
ギャツビーは、デイジーへの愛を貫く為だけに生きてきたようなもの。
そのために、どんな方法をとったにしても。
なんて純粋な、そして、なんて哀しい恋なのだろう、、、。

そのうち、原文でも読んでみたいです。なにしろ８０年前の小説です。村上さんはよく「翻訳の賞味期限」をいい、現代語で訳文を書くことに努力され、本書も、たとえば会話で語り手が相槌をうつ場合「そうなんだ」と訳す箇所がありますが肯定文なのか相槌なのか分かりにくかったりします。わたしには大貫訳の方が１９２０年代風でしっくりきます。もっとも、新たに翻訳するということは、すなわち現代風の言葉使いにするということなのでしょうけど。うーん、村上さんの翻訳は、カポーティとカーヴァーがもっともマッチしていると思いますし、好きです。サリンジャーのケースも村上訳としてはあまり評価できなにのですが、やはり、原作の年代がもっと新しい方が読んでいて違和感を感じません。1922年、F・スコット・フィッツジェラルドは、「何か新しいもの、斬新で美しくて質素なもの、手のこんだ構成のもの」を書くと宣言した。それが、彼の代表作にして最高傑作である、『The Great Gatsby』（邦題『グレート・ギャッツビー』、または『華麗なるギャツビー』）だ。「ジャズ・エイジ」の光と影を描いた本書は、狂欄の1920年代の雰囲気をとらえた小説で、「アメリカの神話」の中で不動の地位を占めている。 ???貧しさの中から身を起こし、裕福になったジェイ・ギャッツビーは、フィッツジェラルド、あるいはアメリカそのものにつきまとう、金や野心、貪欲さ、進歩主義信仰などの強迫観念を象徴する。 ?「ギャッツビーは、緑の灯火を信じていた。お祭り騒ぎは、年々かげりを見せはじめているというのに、未来は明るいと信じていた。いざ、その時が来て、明るいはずの未来が素通りしていっても、たいした問題ではない。明日になれば今日より速く走ることができるし、大きく手を広げることもできるから…そしてすがすがしい朝が――」 ???夢の実現と崩壊を描いたこの小説は、「アメリカンドリーム」に一種の警鐘を鳴らす作品なのだ。 ???この小説は、デイジー・ブキャナンに対する、ギャッツビーのかなわぬ思いを描いたラブストーリーでもある。2人の出会いは、物語の始まる5年前。若きデイジーはケンタッキー州ルーイヴィルの伝説の美女、ギャッツビーは貧乏な将校だった。2人は恋に落ちるが、ギャッツビーが海外出征している間に、デイジーは、粗暴だが非常に裕福なトム・ブキャナンと結婚してしまう。 ???戦争から帰ってきたギャッツビーは、なりふりかまわず、富とデイジーを追い求めることに没頭する。やがて、当初は目的にすぎなかった富が、デイジーを手に入れるための手段になっていく。 ?「彼女の声は金でいっぱい」 ???これは、ギャッツビーが、この小説の中でも特に有名なシーンで発する賛辞の言葉である。 ???金持ちになったギャッツビーは、デイジーの住まう高級住宅地のイースト・エッグと、ロングアイランド水道を挟んで向かい合わせの地所に大豪邸を購入し、ぜいたくなパーティーを開いて、デイジーが現れるのを待つ。そして、彼女が登場すると、物語は、ギリシャ劇につきものの、悲劇的な様相を見せはじめる。かたわらで冷静な目で見ている隣人のニック・キャラウェイは、終始「コロス」を受け持つ。無駄のない文章、 洗練されたストーリー、透き通った文体。『The Great Gatsby』は優れた詩文でもある。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/05/4334751172.html">
<title>カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)</title>
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<description> フェラポント神父に始まり、スメルジャコフやスネギリョフ大尉などカラマーゾフを固める役者達が続々登場する。エピソードを通じて詳細な人物像が浮かび上がる。でもこの時点では、これが後半どのようなことに結...</description>
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 フェラポント神父に始まり、スメルジャコフやスネギリョフ大尉などカラマーゾフを固める役者達が続々登場する。エピソードを通じて詳細な人物像が浮かび上がる。でもこの時点では、これが後半どのようなことに結びついていくのかはわからない。

 わからないと言えば、「大審問官」も同じ。ゾジマ長老のアンチテーゼとして登場した感があるが、なぜかこの部分だけ邦訳そのものが難解。後半を読めば、第２巻でのエピソード群がどのような意味を持つのかわかるだろうと思いながら読み進めた次第。

 一方、ミーチャの精神状態とフョードルとの関係はいずれも益々悪くなっていく。不安を抱えながら、第３巻へ突入する。アリョーシャは小川で子供のケンカに巻き込まれる。コレは、イワンの話の伏線だ。石ころは「闘争」ンは「貧困」を暗示する。くたびれた古いコートを着た少年は、孤軍奮闘インティファーダだ。

■悪魔の質問「石をパンに変える」
コレは“争う兵士を平和な農夫にかえる”世俗政治の必要性だろうか？病気を抱える家族に、金銭的誘惑…姉歯建築士の耐震偽装事件05年11月を連想する。イワンの主張は『幼児虐待を前提としたキリスト教社会なんてまっぴらだ！』（幼児虐待は一つの典型例にすぎず、異端迫害や魔女狩りも含む、幼児はマイノリティの象徴か）と聞こえた。ただし、僕ら運用側にも責任があるのでは？と思った。

 例えば、柔道のヘタクソなフランス人がいて、そもそもルールが悪いんだ！「技あり」なんて無くしちまえ！これって責任転嫁に聞こえる。ルールだけの問題か？運用側の問題でもあるだろう、ルールに文句つける前に審判にメガネを買ってやれよ！現実に幼児虐待がある、これって全て聖書の責任か？オレ様が、創造主の想定外なことをしたって構うもんか。そもそもルールの方が、曖昧でおかしいんだ！？

■イワンの問題提起は「教会が国家に属すべきか否か」
いっぽう、ゾシマは「教会の裁判こそが唯一の真実」さらに、教会は犯罪者の更生(良心)を見放さない。《一巻169ｐ》太宰は『人間失格』のなかで“一つの罪に対して、罰は二種類ある”という様なことをいった。つまり

地上の罰（被告vs原告、裁判官、世間）と、もう一つは天上の罰（罪人の良心vs神）だ。

 ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学や精神分析では無理、という。被告の反省の弁は、検証可能か？“犯人が心のなかでは舌を出してるかどうか”例えば光市母子殺害事件99年事件後犯人が友人にあてた手紙が、証拠として公開された。その内容は…字数オーバー次巻へ続く イワンの大審問官の話は圧巻だった。最初読んだときはただ単に読み流しただけで、イワンが何を言いたいのかよく分からなかった。２回目を読み終えた今でもよく分からない。でも１回目に呼んだときには何も感じなかった何かを感じた。夢中になった。結局イワンが述べたいのは以下のようなことだと思う。人類は結局キリストが訴えているような自由を求めていない、ということだ。キリストこそが人間にとって悪魔のようなものなのではないとだろうか、そう言いたいのだと思う。
 ゾシマの死に際における説教についても強烈な印象が残った。人間は互いに尊敬しあうべきである、ということを感じた。ゾシマは科学に頼りきってはいけないとも述べている。科学など、人間の理性から生じたものなど、実は大したことではないのかもしれない。人間にとって一番大切なのは他者の存在を尊重し、しっかりとコミュニケーションを取って、心の底から愛することなのだと思った。 
 登場人物の紹介 

（ ＝ω＝.） 泉こなた ２６歳 二ート 

（；//Д//） 柊かがみ ２２歳 国立大学理学部生 

('・ω・｀) 柊つかさ １９歳 変な宗教に入ったかわいそうな子 

〜本編〜 

〜ガストの中〜 

（；//Д//）＜私がライトノベルを投稿してるのは知ってるよね？そこで、私の傑作な話を考えたんだケド・・つかさ、読んでくれる？ 

('・ω・｀)＜ごめん、おねーちゃん・・私、字を読むと眠くなるから・・ 

（；//Д//）＜そっか、なら、口頭で内容を言ってみるわ。 

（ ＝ω＝.）＜全部、暗記してんの？凄いネ(ある意味・・) 

（；//Д//）＜タイトルは『大審問官』よ 

（ ＝ω＝.）＜テラ中２病じゃん、恥ずかしいよ、かがみ 

（；//Д//）＜私は つかさと喋ってんのよ！なんで、あんたがここにいんのよ！ 

('・ω・｀)＜・・・・・ 

（ ＝ω＝.）＜本当は、私にも聞いて欲しいくせに、かがみは意地っぱりのツンデレさん 
だなぁ・・ 

（；//Д//）＜つかさ、こいつ殴っていいか？ 

('・ω・｀)＜おねーちゃん、落ち着いて・・ 
ゾシマの言う神、キリスト教の神とは存在するか？もし我々が存在しないと断定しても、実際に存在していれば存在するし、我々が存在すると断定しても、実際に存在していなければ存在しない。

つまり、人間がどう考えてもいればいるし、いなければいないのだ。神がいて私の存在を信じてくれと、言ったわけでもない。

ゾシマの言う神(キリスト教の神)とは人間に利用される存在でしかなく、利用できなければ「いらない」という神でしかない。つまり、人間世界を幸福にする、もしくは救いを与える神でなければ存在してはいけないという、押しつけられた存在としての神だ。

そんなものはすべて人間のエゴで、カラマーゾフによってドストエフスキーの信仰が揺らいでいることが感じ取れる。

神を肯定する「ゾシマ長老」、大審問官により悲惨な現実世界を示し、神を否定する「イワン」。彼はどちらを信じていたのだろうか？
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/06/4863320906.html">
<title>モンキー ビジネス 2008 Fall vol.3 サリンジャー号</title>
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<description>「コネチカットのアンクル・ウィギリー」（野崎孝旧訳では、「コネチ
カットのひょこひょこおじさん」）の会話のドラマの鮮やかさに、ハッと
させられました。

ユダヤ系の共同体、その知的な共同体から少し離...</description>
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「コネチカットのアンクル・ウィギリー」（野崎孝旧訳では、「コネチ
カットのひょこひょこおじさん」）の会話のドラマの鮮やかさに、ハッと
させられました。

ユダヤ系の共同体、その知的な共同体から少し離れたところにいる主人公、
過去の思い出、友情、そうした主人公のすぐそばにいる子供たち。説明は
少なく会話がメリハリよくポンポン続く構成なので、読み取るのに少しの
苦労がありますが、こういう作風の映画（ニキータ・ミハルコフ？もっと
ダイレクトにはウッディ・アレン）に馴染みがあれば、とても面白く読む
ことができます。

柴田元幸訳は、野崎訳のデジタル・リマスター版といった趣で、細部まで
くっきり焦点が合っている訳文であるような気がします。ただし、二つの
訳を読み比べたり、原文と照らし合わせたりしたわけではなく、ただの
印象論ですが。

きっと注釈のしがいのある小説なのだと思いますが、あとがきも何もなしに
本文だけで構成されているところが、とてもクールだと思います。装丁も
ベリー・グッドです。

ただしこういう具合の精神の繊細さ（というかトンガリ具合）は、思春期
後期特有のもので、それを文章で極めて見事に掬い取っているのですが、
何というかうまく言えないのですが、とても危険な作業なのだと思います。

結局、サリンジャーは小説の筆を折り、世捨て人として一人隠れ住んで、
性狷介な伝説の作家となっていくのですが、立ち入り危険な精神の領域を
描いたからだったようにも思われてきます。後知恵かな？？

追記：そういえば、村上春樹が昔『フラニーとゾーイー』を関西弁で訳し
てみたいと言っていました。そのときはキワモノと思って、顔をしかめた
のだけれど、柴田訳ナインストーリーズと並べて是非読んでみたい。実現
してくれないだろうか。



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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/07/487257835X.html">
<title>罪と罰 (まんがで読破)</title>
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<description>主人公が高利貸しのおばあさんを殺して、自分を正当化していく心情を
描いた倒叙ミステリーの古典。
かなりスリリングな展開なので思わず物語に引き込まれてしまいます。

これを読んだら是非小説にも挑んでく...</description>
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主人公が高利貸しのおばあさんを殺して、自分を正当化していく心情を
描いた倒叙ミステリーの古典。
かなりスリリングな展開なので思わず物語に引き込まれてしまいます。

これを読んだら是非小説にも挑んでください。おばあさんを殺害するシーンの
描写はやはり小説にはかないませんし、細かな心理描写は小説になってしまいます。

まず漫画でアウトラインを押さえてから小説へ原著は恥ずかしながらまだ読んだことがありませんでした。
マンガにすると一気に15分くらいで読めてしまいます。内容もわかりやすく大体の話の流れが理解できました。
今度原著も読んでみたいなあ、ときっかけ作りにさせてくれます。
絵柄も癖がなくて受け入れやすいです。「天才は何をしても許される。殺人さえも…。」
そういう倫理観で高利貸しの老婆を殺害した主人公。
しかし、彼も自分の良心の呵責には耐えきれなくなった。
その葛藤の様子をうまく表現している。
最後に、この主人公と今のアメリカの何をしても許されるといった姿勢が重なるように描かれている。
さすがに名作です。「非凡人(英雄)は凡人と違って、"正義"のためなら何をやっても許される」という考えに取り憑かれて、一線を越えてしまった男の待ち受ける運命とは？
「罪と罰」の原作をどんなに圧縮しても１冊の漫画には出来ないでしょう。ですので、多少のデフォルメはあってしかるべきであり、一冊読み通して流れが自然であれば、そのデフォルメは成功と言うべきです。(原作を既に読んだ人にとっては違和感があるでしょうけど...) 本漫画は「罪と罰」のエッセンスは残っていますし(登場人物・時代・舞台はそのまま、話の大筋も大体同じ)、格差社会・終わりなき戦争で混沌とした現代(主要国)にも十分通じる内容も持たせているので、漫画化としては上出来ではないかと思います。(最後に主人公が見る悪夢は、現代に通じるようにかなりアレンジされていますが、ドストエフスキー氏が生きていたら、ひょっとしたらこんな感じにアレンジしたかもしれません。かなり衝撃的です) 本書は「原作を読んでみよう」という気を起こさせる十分なインパクトを持っていますので、オススメできます。本作で筋書きを知っていたとしても、原作は(類似点・相違点に注意しながら)面白く読み進めることが出来ます。大体の筋が頭の中に入っていると、初心者には難解な原作を読み通し易くなりますね。(原作を読む時に人物・場面をイメージし易くなっています)
自分自身を「現代のナポレオン」気取りしている世界の政治家(→実は「現代のヒトラー」かも？)にも本書の翻訳をオススメしたいところです。"愛読書は子供の絵本"と答えた何処ぞの国のトップでも、漫画なら読めるでしょうからね...(苦笑)
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/08/4334751237.html">
<title>カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)</title>
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<description> ついに、この第三巻で父親フョードル殺しが出てくる。章立ては「アリョーシャ」「ミーシャ」「予審」となっているが予審の章はミーシャが主役だから、この第三巻は殆どミーシャを中心とした話であると言ってよい...</description>
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 ついに、この第三巻で父親フョードル殺しが出てくる。章立ては「アリョーシャ」「ミーシャ」「予審」となっているが予審の章はミーシャが主役だから、この第三巻は殆どミーシャを中心とした話であると言ってよいだろう。
 グルーシェニカの愛を確信できた途端に、父親殺しの疑いをかけられたミーシャ。金銭については性格破綻者と言ってよい彼の行動・発言はなぜか心に響く。憎めないキャラクターである。

 話は変わるが、当時のロシアの風俗や習慣のわからない読者にとって、大きな助けとなるのが巻末の読書ガイドである。翻訳の現代語化もさることながら、これまでの翻訳と大きく異なるのはこの点かもしれない。訳者が読者にずっと寄り添って、この長編の読破を助けてくれる。つまり地上の罰（社会的罰）と、天上の罰（内面への罰）だ。ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学では無理という。例えば光市母子殺害事件
後、犯人の手紙が、証拠として公開された。

「選ばれし人間は…私を裁けるものはこの世におらず」
これら供述は『罪と罰』『ドラえもん』の丸写しだが、夢は小説家らしい。
一方で精神医学では、良心が欠落した異常者“サイコパス”の存在を唱える。どちらが正しいのか、科学は、人の内面をも暴けるのか？

■大審問官は居直る『自由は、三次元の人間にとって荷が重すぎる』
民衆の「闘争・貧困」解決策は、取引しかないと。たしかに我々は、『バックトゥザフューチャー』の様に四次元的に行動できない。日本は今、スピリチュアルブームだが、占い師が、詐欺師かどうかも神秘だ。
自由を苦痛に感じる弱者は、現代日本にも確実に存在する。例えば刑務所を出所した老人が、わざと万引きをくり返し、囚人に戻りたがるというニュースを聞く。

■「不死がなければ善もない」《一巻182ｐ》
コレは、魂の不滅がないなら因果応報が機能しない、ことか。
つまり現世で無実の青年力士が、（ビール瓶で撲殺される様ないわれなき現世の罰が）来世で報われないならば、善悪は無意味だ。
司法の補償も怪しいものだ。時津風部屋で07年6月26日に撲殺がおき、立件されたのは約３ヵ月後。それもそのはず警察は、診断書を書換え妥当な検視も怠った。「耳は裂けアザ・火傷だらけの死体」は「心不全」と診断された。我々が欲する「くもりなきメガネ」は、科学がもたらすのか？それとも、神が与えた自由には、善悪の審判は含まれないのか？

戦後日本は国民宗教を失った。法律を補完する社会規範を失った以上、地上の罰に頼らざるを得ない。それが現代日本の現状だ。ゾシマが誇る様な“教会”を持たない日本における死刑制度は… 高校時代の同級生が昔、「『カラマーゾフ』なんか、最後の方は早く続きが読みたくて仕方なくなった」と言ってたし、ある女流作家（金城ひとみだったかな？）も、「１〜２巻は数ヶ月、３巻以降は数日で読めた」みたいなことを書いていたもんだから、１〜２巻で相当退屈したにも関わらず、半ば意地で、でも少し期待しながら、３巻も数ヶ月かけ、とぎれとぎれでやっと読了した。

 正直な感想＝愛読者の皆さん、『カラマーゾフ』ってどこがそんなにいいの？
 
 ミーチャの大時代的で、芝居じみた長ったらしい台詞なんてシラケッパナシ。単に女と酒に溺れやすい激情型人間にしか見えない。父親殺しというモチーフも現代の日本では極々日常的に報道されているし、別に新鮮味もないしなあ。３巻ではアリョーシャやイワンは全く登場せず、ミーチャの一人舞台だが、私にとってはあまり興味深いキャラではない。カラマーゾフも『罪と罰』位の長さ（文庫２巻）で、丁度良い話ではなかろうか。どう考えても、物語としてはダラダラし過ぎた失敗作だと思う。

 ４〜５巻どうしようかなあ。こうなりゃ、意地でも読むしかないか。 ミーチャと予審判事、検事とのモークロエ（取り調べ場所）でのやり取りが面白かった。ミーチャの｢恥辱｣について検事たちが理解できなかったのはやむを得ないだろう。ミーチャはグリゴーリーに対しては半殺しにしたにも関わらず、そのことは父殺しの事に比べて対して関心を持っていない。罪の意識も持っていないと思う。

 召使であったとしても一人の人間であるので（しかも自分の命の恩人でもある）、もっと殴ったことに対して罪の意識を持つべきだと思った。助かったからそれでよかった、という問題ではないと思う。じっくりと腰を据えて本を読む機会がなく、
とぎれとぎれとなりましたが、第３巻を読み終えました。
この新訳では、読み始めるとグッとのめり込んでしまい、
時間が経つのも忘れてしまうので、途中で意識して時間を見なければいけません。
以前違う文庫シリーズで読んだときは、なかなか進まないなぁと思ったものでしたが、
それとは全然違うワクワクとした気分です。

第２巻は、大審問官やロシアの修道士などの有名な箇所があって、
それなりに力を入れて読みましたが、
この第３巻は長男ドミートリーとその取り巻きの人間関係が描かれていて、
大きな事件もあったりして、本当に面白く読むことができました。
新しい訳で、ドミートリーが等身大の人間に見えてきますし、
ドミートリーの人間性も理解しやすい気がします。
面白いのは、前の２巻であれだけ大切に扱われてきた他家族３人が、
まるでドミートリーの話しの小道具のようで、
この小説におけるドミートリーの重要性がしみじみ感じられる巻だと思います。

本編は残るもう１巻。楽しみに読ませてもらいます。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/09/4151300805.html">
<title>そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)</title>
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<description>初めてこの作品を読んだのは、私の中で第一次クリスティー・ブームだった中学生の時。
実は、読み終わっても誰が犯人かさっぱり解らなかったのでした（焦）。
ただ「怖い」という印象だけが強烈に残り、
自分だ...</description>
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初めてこの作品を読んだのは、私の中で第一次クリスティー・ブームだった中学生の時。
実は、読み終わっても誰が犯人かさっぱり解らなかったのでした（焦）。
ただ「怖い」という印象だけが強烈に残り、
自分だけが怖いのは理不尽と父に無理やり読ませた記憶があります。
あれから２０年…第二次ブームを迎え新訳が出たので改めて読んでみたところ、
怖さよりも見事なトリックへの感動が先に立ちました。
やっと目の前の霧が晴れたという感じです。
犯人が解ったうえで周到に散りばめられていたプロットを再確認したくなり
すぐに読み直した次第です。
そして完璧なアリバイにまた感動。是非読んでみて下さい。きっと再読したくなります。
文句なし、クリスティの最高傑作。
「アクロイド」や「オリエント急行」は正直ズルイと思うが、本作は、とにかくわけわからないまま、圧倒的なサスペンスで最後まで引っ張ってゆく。動機の「いくらなんでも」ぶりに気がつくのは、読んでしばらくたってから。
何回も映画になってるし、パターンとしても「エイリアン」、「惑星からの物体Ｘ」他いろいろ使われてるのは、この小説の構造が、原初的なサスペンス構造を持っているからでしょう。
この作品が「読書の入り口」である若い人は、幸せな読書人生を送れると思いますよ。初めてミステリ小説を読みました、すごく読みやすかったです
話の内容に無駄がなく次々に事件が起こり、オーエンにみんなが追い込まれていく
最後の一人が不思議な死に方をして｢えっ、終わり？｣と思いますが
最後の後日談みたいなのでちゃんと説明してありスッキリします

犯人が誰か分かってからまた始めから読み直すと
違った面白さがあるのがミステリ小説ですね

のちに無数のバリエーションを生むことになる
ミステリの「型」を創造した歴史的名作。


表向きは〈童謡殺人〉ものであり、〈孤島〉ものなのですが、
それを裏で支えている仕掛けは〈操り〉と〈叙述トリック）です。


々がミステリを読む際、厳密に犯行方法が判らなかったとしても、
犯人については、おおよその見当をつけることができます。

それは犯人のパターンには、自ずと限りがあるからです。

そんな事情を鑑みて、クリスティは決して読者に犯人を
悟らせないミステリとして本作を構想したのだと思います。


『そして誰もいなくなった』というタイトル通り、マザーグースの童謡に見立てられ、
十人の登場人物が、次々と例外なく殺されていき、最後には嘘偽りなく全員、
この世からいなくなります。

彼らを島に招き、彼らの罪を告発した謎の存在「オーエン」
（アンノーン）は、果たして彼らの中にいたのかどうか……。

粛々と見立て殺人が行われていく異様な展開により、サスペンスは終始途切れることはなく、
最後の最後に控える驚愕の真相まで、一気に読み進めていくことになります。


それまでのミステリを解体し、新たな形に再構築するべく仕掛けられた
〈叙述トリック〉の妙により、サスペンスの持続と謎解き興味を両立し得る
「型」を見出した天才の、偉大なる達成がここにあります。


引き込まれていくように一気に読めた。雨の夜の場面なんかは、ちょうど外で雨が降っている夜だったので最高に引き込まれた。アガサの小説の中でも一番読みやすいスリルのある作品だと思う。読み進めていく中で、この人が犯人では？と思った人が死んで行く展開に私の頭は迷宮入りしたのですが。色々な可能性を考えながら読み進めていきながらも私にとっては意外な人が犯人だったというのが驚きだった。最後まで読まなければ、超常現象？ではないかと思わせる展開が素晴らしい。多くの作家から今なお名作と評価される理由がわかった。表紙の島の絵もまさに内容とマッチして効果的だ！と思った。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/10/4334751326.html">
<title>カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-20T07:39:17+09:00</dc:date>
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<description>古典新訳文庫。読みやすく、1巻からずっと仕事の合間を見つけて読んできたが、4巻の裁判で止まりがちになり、半年らいかけてぼちぼち読んだ。人間存在に関する様々な洞察が深く、しばしば書き留めたくなるような...</description>
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<![CDATA[
古典新訳文庫。読みやすく、1巻からずっと仕事の合間を見つけて読んできたが、4巻の裁判で止まりがちになり、半年らいかけてぼちぼち読んだ。人間存在に関する様々な洞察が深く、しばしば書き留めたくなるようなフレーズがある。しかし、増長な文章の中でマラソンをしているようで、特に最終検事の答弁などは、もうちょっとシンプルでもいいのではないかと思う。 恐らく本作のレビューは殆どが高評価であろう。なぜならこの『カラマーゾフ』を４巻まで読むのは余程ハマッタ人達だからだ。
 私は本来なら２巻あたりで挫折していた読者だが、義侠心と半ば意地で４巻まで何とか通読し、このレビューを書いている。
 よく『カラマーゾフ』は前半退屈、後半ワクワクとゆう評価がされるが、それはハマッテ通読出来た人達の評価。その裏には何倍もの途中挫折組が居ると考えられる。私も本来ならその挫折組みの一人である筈だが、今回このレビューに書きたいがために、頑張ってこの４巻まで何とか読み終わった。以下断言できる事。

 １）本『カラマーゾフ』はハッキリ言って、ダラダラ長いだけの失敗作です。よっぽどドストエフスキーにハマッったマニア以外は読む時間が無駄でしょう。一気に全巻購入は止めて、第１巻（の）冒頭）だけ読んで、通読するかどうか判断して下さい。後半にもそれを凌ぐ場面はありません。
 ２）これは訳者の力量ではありません。原作が失敗作なのです。岩波文庫でも私は第１巻で挫折しました。
 
 第５巻も意地で読みます。 父殺しがテーマだが、殺しの場面は直接出てこないので、やはり裁判シーンがこの物語最大の見せ場ということになる。ただ、この４巻を読んで私が最も心引かれたのは、アリョーシャとドミートリーの接見の場面のやりとり。
 ドミートリーの口から「もしも、神さまがいないとなりゃあ、人間が大地と世界の主人てことになるよな。悪くないぜ！ただし、人間は神さまがいないのに、どうやって善良でいられる？」
 登場人物中もっともかりやすいドミートリーから発せられる単純明快なセリフである。このフレーズだけでなく、作者は自分の主張をいろいろな所に埋め込んでいるように思う。読者は、これをどのくらい掘り出すことができるだろうか。2週間かけて読んだ。新訳は読みやすい、活字も大きい。
カラマーゾフ的なものとは清濁混沌とした人間性そのものなのだろうか。
百年以上経ってもこの小説は心に響く。インターネットが普及したぐらいでは、人の心のあり方なんてものは、そうそう簡単に変化するものではない。

→コーリャの存在感
 めっぽう強いやつ
 抜け目がなく、粘り強い、度胸もある、何かをすすんでやってのける気構えに満ちている
 鉄道事件の後は、さすがに母と子は感極まり、まる一日、ひしと抱き合い、体を震わせて泣き通した
 「プライドが高くて、目がぎらぎら光っている。そういうやつが大好き」
 うちの学校じゃ、全科目一番の生徒
 生活にまみれていない天性が、荒っぽい馬鹿げた話で歪められている
 「たとえ一人きりになっても、きみだけはやっぱりみんなと別の人になるんですよ」

→散々な描かれ方のグルーシェニカが愛したポーランド人
 乞食同然の恐ろしく貧しい暮らしぶり
 連日、無心の集中砲火

→スコトプリゴニエフスク、町の名前、家畜追い込み町
 父殺しの裁判をめぐる噂が、ロシア全国に隈なく広まっている

→イワン
 モスクワから帰ると、カテリーナに対する燃えるような狂おしい情熱に、身も世もなくのめりこんでしまった
 
→フョードルの死
 後ろから後頭部のてっぺんめがけて、打ち下ろしました
 二度、三度。三度目に、ぐしゃっと割れた手ごたえがありました。

→分裂した自分との会話、イワン
 人はいずれ死ぬ身であって、復活はないことをしるので、死を、神のように誇り高く、平然と受け入れる
 真理を認識すれば、新しい原則に従って、完全に自分の好きなように身の振り方を決めることが許される

→弁護士、渾身の言葉
 この世には、心を狭め、全世界を向こうに回して非難する人々がいます。しかし、そうした人々の魂を温かい憐れみで圧倒し、愛を与えてやれば、その魂は自分の行いを呪うようになるでしょう。
 
 



私があれこれ言う必要もない、古典的名作です。
法律を勉強されている方々にとっても、一大法廷絵巻であるこの４巻は、
刑事サスペンスの名作として、とても勉強になるかと思います。
目からウロコでした。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/11/4872578899.html">
<title>カラマーゾフの兄弟 (まんがで読破)</title>
<link>http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/11/4872578899.html</link>
<dc:date>2008-11-20T07:39:17+09:00</dc:date>
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<description> つい先日、原作『カラマーゾフの兄弟』を評判の亀山訳で、半年程かかってやっとの事で通読したが、ストーリーのあまりの冗漫さに辟易し、この漫画版でストーリーを復習しようと思った。

 ストーリー展開も早...</description>
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<![CDATA[
 つい先日、原作『カラマーゾフの兄弟』を評判の亀山訳で、半年程かかってやっとの事で通読したが、ストーリーのあまりの冗漫さに辟易し、この漫画版でストーリーを復習しようと思った。

 ストーリー展開も早く、すぐに通読できるのはありがたいが、あの長編を僅か漫画本１冊にまとめるのは当然無理がある。原作の大幅なカット（ゾシマ長老の説教）や重要なストーリーの改変もある。次男イワンは別に革命運動がらみで「大審問官」を語った訳ではないのに、これでは彼の思想があまりに矮小化・軽薄化されてしまっている。風貌もこんなイケメン風でなく、眼鏡をかけたインテリ風でなきゃ。また三男アリョーシャのキャラがやたら軽々しく、なんだか少しバカなのではと思える程だ。

 他方、父親フョードルの描き方は原作以上に現実感があり、絵柄もイメージ通りだった。長男ミーチャも中々上手くキャラが描けていたが、当時のロシア将校の風貌としてはやはり髭があった方が良かったと思う。グルーシェンカ、カテリーナの女性陣はほぼイメージ通りで良かった。

 私は原作自体をあまり評価していないので、対時間効率からすれば本書を読んで粗筋を知り、気になった人は、「大審問官」や「ゾシマ長老の説教」などの名場面だけ、原作に当たれば十分だと思う。
前々から気になりつつも、原作の文章量に抵抗があり名前も覚えにくい所から読まずじまいの作品でした。この漫画の評価としては、内容は分かりやすいものの、人物の考え方の変化や何故グルシェンカに惹かれるのかがいまいち分かりにくく感じました。グルシェンカの心の変化もいきなりのように感じたし……やはりあれだけの量をこんなコンパクトにまとめると仕方ないですよね;登場人物の顔の描き分けにより、名前も覚えやすかったですし、おおまかなあらすじも分かったので原作にチャレンジしたいと思えるようになりました(^-^)難しい本なのでマンガで十分だと思います。ある本の批評では「法学部で司法を学ぶ人に推薦」って書いてありました。絵が汚いのは同シリーズ『変身』と同じだが、内容はもっとひどい。
地上の利益を無視して神に従うことの出来ない人間の弱さを赦さない
神を糾弾した、あまりにも有名な「大審問官」がただの神への悪口に
果てしなくレヴェル・ダウンしている。またそれに対して
あくまでも神への信頼と人間性の向上を説いた崇高な「ゾシマ長老の説教」は
省略に等しい扱い。
元々活字を漫画にすると情報量が減るのだから、どうしてもこの大長編を漫画にしたいなら
せめて8巻くらいの長さを用意すべきだった。
あるいは、反対に「大審問官」「ゾシマ長老の説教」のみを抽出すべきだった。
なぜ「カラマゾフの兄弟」から始めるのか？
実際小説から始めると上巻のイデオロギーに躓く事が多いから。
そこを適当に読み飛ばせば、最期まで読破できますが、真面目に考えすぎて
「自分にはレベルが高すぎる」と考えてしまう読者が出てきます。

次に漫画で荒筋だけでも読んでおけば次の小説にいく準備にもなります。
とにかく大意や荒筋だけでも掴んで下さい。

漫画だから読みやすい、それでいいんじゃないの？
これを読んだ後は漫画「赤と黒」を読んでみてください。
小説のプロットが意外なほどに「カラマゾフの兄弟」にそっくりです。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/12/4834000621.html">
<title>おおきなかぶ―ロシア民話 (こどものとも傑作集 (26))</title>
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<description>ただ「でっかいカブを土の中から引き抜く」っていう何らドラマにもなりそうもないお話で子供心を引き付けたという事実がまず凄い!

引っ張る→抜けない→人が追加される→また引っ張る

の繰り返しなんだけれ...</description>
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<![CDATA[
ただ「でっかいカブを土の中から引き抜く」っていう何らドラマにもなりそうもないお話で子供心を引き付けたという事実がまず凄い!

引っ張る→抜けない→人が追加される→また引っ張る

の繰り返しなんだけれど、「カブの引っ張り方」以上に「話の引っ張り方」が絶妙(笑)。
これは小さいお子さんに朗読して聞かせてあげるべきお話だと思いますね。

「リズミカルな繰り返しを声に出す」ことでまさしく「生命(いのち)を吹き込む等しい行為」になるのです。

つまりね、このお話を作ったのは名も無き人だったとしてもです、
「このお話自体に実際に生命を吹き込んであげて、素晴しいものに仕上げてあげるのは読者」なんですよ。

「読者参加型」って、こういう意味なのかもしれませんよ。
 おじいさんが愛情をこめたかぶは見事に大きく育ちました。おじいさん一人ではなかなか抜けないので、おばあさんを呼んできて一緒に引っ張ります。やはりかぶは抜けないので、おばあさんは孫を呼んできて…と、次々と協力者を呼んできてはかぶを抜こうとします。
 おじいさんのごつごつした手や、勢いよく伸びるかぶの葉など、絵に迫力があります。また助けを待っている間のおじいさんが、だんだん疲れてくる様子に笑えます。
 １歳の我が子に読み聞かせると静かに聴いてはいますが、自分から持ってくることは少ないです。助け合うことや、達成感、喜びを分かち合うなどの経験がまだあまりないので、共感するには少し早過ぎるのかもしれません。個人的には好きな絵本なので、今後楽しんでくれたら嬉しいです。教科書にも載っている、有名なお話です。
子供が宿題のプリントで「おじいさんはかぶをどうしたかったのですか？」の
問に（答えは「抜きたかった」）
「シチューにでもするか（おじいさんの口調を真似ているらしい）」
と、書いていました。
ちょっとおかしかったので「ロシアの話だからボルシチにしたら？」と言ってみました。
子供は、文字の間からいろんなものを吸収しているようです。自分が子どもの頃に読んだ「おおきなかぶ」。
読み返してみると「うんとこしょ どっこいしょ」は、
リズム感もよく、その掛け声と一緒に体が動かしたくなる言葉です。
未来に伝えたい一冊です。大きなかぶを、みんなで力を合わせて引っ張る話です。

五歳の子供に読んでみました。
子供を、ひざに乗せて、
かぶを引く時に、子供を揺らしながら、
「うんとこしょ どっこいしょ」と読んでいくと大喜び。
子供も、ぬいぐるみを連れてきて、両手に抱えながら
一緒に引っ張っています。

また、かぶを引く人が
一人ずつ増えていくのも、おもしろいようで
「次は、○○が来るよねー。でも抜けないよねー」と
覚えたストーリーを話しながら、ニコニコしてます。


「読んで」と、リクエストの多い本です。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/13/4150103410.html">
<title>幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))</title>
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<description>ＳＦの金字塔はハインラインの「夏への扉」だと思うが、本作も一読してＳＦの古典たる
名作であると知れる。オーバーロードの目的とは何か？彼らの正体とは？と興味がそそられる
が、結末は意外なことになる。面...</description>
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ＳＦの金字塔はハインラインの「夏への扉」だと思うが、本作も一読してＳＦの古典たる
名作であると知れる。オーバーロードの目的とは何か？彼らの正体とは？と興味がそそられる
が、結末は意外なことになる。面白いので是非一読して欲しい。突然現れた宇宙船によって、人類は孤独ではない事を知る。
オーバーロードの統治によって幼年期が終わり始め、徐々に変質していく社会と人類。
自分の拙い表現力ではこの作品の魅力を言いあらわすことは出来ない。


クラーク氏の作品はいわゆる設定や事象など、世界観で魅せる作品と言うよりも
底流に時代の移り変わりと関係なく存在する人間に対する普遍的なテーマがあった。
それが、今読んでも古さを感じさせない（もちろん、設定の古臭さは若干あるにしても）
理由なのでは無いかと思う。

衛星通信の原理について最初に論文を発表するなど、自身が優れた科学者であり、
ＳＦ作家であった氏は何よりも先ず優れた語り部であった。
彼の紡いだ物語によってどれほどの人間が影響を受け、後の社会を変えて行ったのか、
見当も付かない。
もう人類が氏の新しい物語に出会うことがもはや無いのがとても惜しまれる。

宇宙からオーバーロードが地球にやって来ます
彼らはすぐれた科学力を持っています
彼らの目的は何か
地球人はやがてオーバーマインドに進化します
物質を越えた精神生命体です
クラークの作品なかでも最高傑作だと思います
他のSFとはちょっと違った印象を受けました。

人間はオーバーロードに支配され、管理されていくのですが
やがてその管理の真相がわかるとただ絶望に打ちひしがれるしかない…
そして最後は人類はもやは何ものの意味を持たなくなる…
なんだか未来の私たちを見ているようでぞっとします。

ただ、違った印象を受けるため
この本は良くも悪くも評価が分かれる本だな、と思います。

とにかく、読み終わったあと、恐怖を覚えました。かなり昔に(創元推理文庫版を)読んだんですが、読み終わった時の感動はうっすらと覚えています。クラークよりアシモフやハインラインのほうが好きなんですが、これは好きです。私はクラークのように真面目すぎるSFは読むのに根気がいるたちなんですが、これは一気に読むことができました。読んで損はないと思います。SF小説にいちいち現実との整合性や理論的な解釈を求める心の貧しい人には評価されるかどうかはわかりませんが、SF小説(他のジャンルの小説も)を素直に楽しめる人にオススメします。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/14/4334751334.html">
<title>カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫) (光文社古典新訳文庫)</title>
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<description>読破しました！と言う言葉がぴったりの小説です。
とは言うものの、２ヶ月程で全５巻を読み終えました。そう言う意味ではかなり読みやすかったんだと思います。もっと苦労する覚悟でしたが、その反面新訳なのだか...</description>
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読破しました！と言う言葉がぴったりの小説です。
とは言うものの、２ヶ月程で全５巻を読み終えました。そう言う意味ではかなり読みやすかったんだと思います。もっと苦労する覚悟でしたが、その反面新訳なのだから読みやすくなっているはず、という期待もありました。確かにある程度古い表現や、口語では少し違和感を感じるような表現もありましたが結果的にはそんなことは気にならないほど、どんどん読み進むことが出来ました。それはもともとドストエフスキーの文体の力なのか、訳者である亀山氏の工夫なのかな分かりませんが・・・。
私はロシアの古典文学を読んだことが無かったので、何の先入観も予備知識もない状態でした。宗教的なことや、当時のロシアの状態など、分からないことだらけでしたが、各巻の最後にそれぞれ解説が付いていて、それを読むことによって本文では理解できていなかった事も更に理解することができ、そういった工夫も大変ありがたかったです。
ですので初心者にはかなりお勧めです！

内容的にもかなり興味深く、どこまで掘り下げて考えるかは読者次第と言えるでしょう。そう言う点でもあらゆる人が楽しめると思います。
また数年先に読み返すと、現在の自分では感じ取れなかった事に気づくのかな、などと思いを巡らせたりしています。
 最終巻は、冒頭にエピローグの章があるものの、殆どが著者による解説である。本作に対する理解を深めるため、まずはドストエフスキーの生涯を説明し、本作の解説へと移っている。
 これまで本作の解説というと、表面のストーリーとその背後に流れる神の存在を巡るテーマについて論じられてきたが、著者はそれだけではないだろうと主張している。それは自伝の要素である。
 著者は「自伝の締めくくりとして、カラマーゾフの兄弟全体を構想していたといっても過言ではない」と述べている。
 私は、この解説を読んで、改めて本作品の構成力に圧倒された次第である。
 １９世紀の作品とはいえ、今は昔、現在の知識では理解できない時代背景や当時の常識が散りばめられている。ましてや外国の作品であればなおさらである。自分で一字一句理解しようと無理をせず、水先案内人に従って読書を楽しむのも悪くない。

 ま、「エピローグ」という言葉からも予想される通り、この第５巻での『カラ兄』本文の残りはごく僅か、366ページ中なんと63ページまでしかない。残りの部分は訳者による「ドストエフスキーの生涯」「年譜」「解題」「あとがき」である。つまり本文は解説の５分の１しかない、ってこと。
 訳者の意向により、このエピローグだけで一分冊にしたかったらしいけど、営業的にはどうなんでしょ？なんか、訳者が自分のカラ兄解説書まで買わせる「抱き合わせ商法」にも感じられる。

 で、本編「エピローグ」ですが、やはり大幅なストーリーの展開は無く、最後のアリョーシャの子供たちに対する歯の浮くような「お説教」の後、唐突な「カラマーゾフ万歳！」って、どうよ？冤罪で流刑になっちゃったミーチャはどうなんのよ？脱走計画は？まだ、全然話終わってないでしょうってば！
 ま、元々作者前きの部分で本作は物語の前半部、つまり続きがありますよ〜、って断ってんだから仕方ないかも知れないが、じゃ世間はもっと「カラ兄は未完の作」って事を周知徹底して欲しいよ。

 「ドストエフスキーの生涯」は読みやすい文章で分りやすかった。「解題」の方は思い入れたっぷりに書いているのは分るが、ここまでやると贔屓の引き倒しでしょう、って気がしてきた。むしろこれだけ歴史的、伝記的、文化的考証が必要な原作はもはや現代の一般読者が読むにはそぐわないとの感を強くした。

 全巻通読後の最終結論＝ドストエフスキー代表作は『罪と罰』で決まり、『カラ兄』通読必要無し！5巻まで読み終えるのに優に3ヶ月を要した。人間の善悪の本質、キリスト教と無神教、高貴な心と醜悪な感情、重層に繰り広げられる壮大なドラマである。150年経っても、人間の本質はさほど変わらないということを思い返された。

→気に入った表現をいくつか
子供時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはない

どうか人生を恐れないで！なにか良いことや正しいことをしたとき、人生って本当に素晴らしいって、思えるんです！

新約聖書と旧約聖書、とくにドストエフスキーに強い興味を覚えさせたのは、神のむごたらしい試練を受け、信仰を失わないヨブの話

極端に内気で人付き合いの苦手な若いころのドストエフスキー

政治犯容疑のドストエフスキーは、4年間、シベリアの流刑地で人生の奈落を経験

罪と罰 世界文学史上に燦然たる光を放つ小説 農奴解放後のロシア社会を襲った混乱

ロシアが国家としての推進力を失い、崩壊の道を辿りつつあるという、ナショナリストとしての漠とした絶望感すぐれた訳者が必ずしもすぐれた解説者であるとは限らない。本書解題におけるバフチンのポリフォニーへの言及は全くの出鱈目。
本書では「登場人物の多様性による視点の相対化」というくらいの意味ですがポリフォニーとはそのような意味ではありません。
亀山の知ったか振りは、本当にバフチンを読んでいるのかさえ怪しい程で、ただお茶を濁すだけで殆ど何も説明していない。
そればかりかバフチンがポリフォニーの「非常に際立った対話」として詳しく考察している箇所（『詩学』p534-539）を事もあろうに
「ポリフォニーの原理にさからうセリフ」（『本書』p281）等と頓珍漢なことを（しかもなぜか自慢げに）書くトホホな始末。
何も知らないと思って読者を馬鹿にしているとしか思えない。

参考
「イワンの言葉と悪魔の応答とを差づけているのは、内容ではなく、ただその調子、ただそのアクセントだけである。
しかしそうしたアクセントの移行は、イワンの言葉と悪魔の応答の最終的な意味の全体を変化させている」（『詩学』p454-455）
「悪魔はイワンの内的対話の中に、愚弄嘲笑と絶望的な断罪のアクセントを持ち込む」。悪魔は「イワンのアクセントを悪意的に誇張し、
歪めてしまう」。「アリョーシャもまたイワンの内的対話の中に他者のアクセントを持ち込むが、しかしその方向性は正反対」の「愛と和解
の調子を持ち込む」。悪魔とアリョーシャは「双方とも同じようにイワンの言葉を反復しながらも、その言葉にまったく正反対のアクセント
を付与」する。「対話において衝突し、論争しているのは」絡み合った「闘争する声たち、内部で分裂した声たちのポリフォニー」である。
(同p537-538、p522から再構成)

キーワード
アクセントの移動（変化）／言葉の対話的分裂／意識の対話的分裂／言葉の他者性／私的言語の否定
多声=対話=複声／対話と対話の対話／対話の未完結性=永遠性

『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン（ちくま学芸文庫）特に「ドストエフスキーの対話」p527-562参照。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/15/4151400184.html">
<title>アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)</title>
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<dc:date>2008-11-20T07:39:17+09:00</dc:date>
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<description>まちがいなく日本の演劇史に残るであろう、2007年の傑作舞台「カリギュラ」
（作＝カミュ、演出＝蜷川幸雄、主演＝小栗旬）の原作が、ようやく出ました。

これは紹介文にあるとおり、カミュ自ら『異邦人』...</description>
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<![CDATA[
まちがいなく日本の演劇史に残るであろう、2007年の傑作舞台「カリギュラ」
（作＝カミュ、演出＝蜷川幸雄、主演＝小栗旬）の原作が、ようやく出ました。

これは紹介文にあるとおり、カミュ自ら『異邦人』等とあわせて「不条理の三部作」
と名づけたという、いわくつきの作品。
そして翻訳は、舞台台本の翻訳を担当した岩切正一郎さんーー
とくれば、もう読むしかないでしょう。

みずから「神」を演じることで世の不条理に戦いを挑む、美しき残虐王カリギュラ。
カリギュラに対するクーデターの首謀者となる、知的でクールな文人貴族ケレア。
父を殺したカリギュラを憎みきれず苦悩する、ピュアな少年詩人シピオン。
自分を奴隷の身分から解放してくれたカリギュラを慕う、野性味あふれる忠臣エリコン。
そして、時に母のようにカリギュラを諭し支える、年上の恋人セゾニア。

カリギュラの残虐非道ぶりにただ取り乱し、保身に奔るばかりの側近たちのなかで、
この４人だけが、カリギュラの残忍さが「仮面」にすぎないこと、
そして仮面の下にある彼の素顔を見ぬいています。
そしてそれぞれのやり方で、彼らはカリギュラを理解し、愛するのです。

気になる訳文は、一部変更が見られるものの、ほぼ舞台と同じ。
（ＤＶＤ版に照らしてみましたが、活字で読んでも違和感のないように
調えられた個所が、多少ある程度です。）
新訳ブームの火つけ役となった某文庫のキャッチフレーズではないですが、
登場人物たちが「いま、息をしていることば」で語る、みずみずしい翻訳です。

岩切さんの「訳者あとがき」もステキです。舞台のリハーサルの様子も紹介されていて、
小栗君たちとのやりとりを通じて、キャストの皆さんの熱意が伝わってきます。

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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/16/4334751687.html">
<title>罪と罰 1 (1) (光文社古典新訳文庫 Aト 1-7)</title>
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<description>読んでみてまず思ったことは・・・

「読みやすい！わかりやすい！」 これに尽きます。

翻訳書にありがちな、難解な言い回しをできるだけしない努力をされていることがよくわかります。
抑揚のつけ方も上手...</description>
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<![CDATA[
読んでみてまず思ったことは・・・

「読みやすい！わかりやすい！」 これに尽きます。

翻訳書にありがちな、難解な言い回しをできるだけしない努力をされていることがよくわかります。
抑揚のつけ方も上手く、内容もスラスラ頭に入ってきますし、途中で「あれ？これ何だっけ？この人誰だっけ？」となって同じところを読み返す、という事が少なかったですね（あまでも私はですが。）

ただ、こういう「わかりやすい・簡単な」文章は、文学ではどうしても諸刃の剣なわけで・・・

ドストエフスキーの小説が、普通の小説レベルになりました。
合う、合わないはあると思います。賭博で一文無しになった44歳のドストエフスキーが、乾坤一擲の思いで書いた傑作。選ばれた者の例外的特権、大いなる善の為に小さな悪は許されるか否かなど、重い思想的テーマを扱うが、心理描写や推理小説のような緊張感が素晴らしい。亀山氏の新訳は、日本語としてとても読みやすい。日本語は関係代名詞をもつ西洋語と違い、複雑な構文を苦手としており、主語・述語、主語・述語と短い文章にバラして並列することによって、先へ先へと文章が流れるからである。たとえば、金貸しの老婆を殺した直後のラスコーリニコフの動揺場面を、既訳と比べてみよう。「けれども一種の放心が、瞑想ともいうべきものが、次第に彼を領しはじめた。そして彼は、ともすれば我を忘れて、というよりはむしろ大事なことを忘れて、瑣末な事にかかずらうというあんばいであった」(中村白葉訳、岩波文庫ｐ135)。「ところが放心というか、瞑想とさえいえるような状態が、次第に彼の心を捉えはじめた。数分の間彼は自分を忘れたようになっていた。いやそれよりも、肝心なことを忘れて、つまらないことにばかりひっかかっていた」(工藤精一郎訳、新潮文庫p139)。「だが、ある種の放心といおうか、ある瞑想にも似た状態が、徐々に彼をとらえはじめた。ときおり、われを忘れたような状態に陥った。というより、大事なことを忘れつまらないことばかりこだわるのだった」(本訳p191)。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/17/4872579100.html">
<title>赤と黒 (まんがで読破)</title>
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<description>貴族界の立志出世が主だが、反面、恋愛についても一つのテーマとして取り上げられている。
恋焦がれる女性を手に入れるには？
主人公ジュリアンは一つの恋の真理を伝えている。
大概の男は...、
「好きだと...</description>
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<![CDATA[
貴族界の立志出世が主だが、反面、恋愛についても一つのテーマとして取り上げられている。
恋焦がれる女性を手に入れるには？
主人公ジュリアンは一つの恋の真理を伝えている。
大概の男は...、
「好きだと言えば、女は惚れると思っている。」
でもそれは大間違いで、男の告白（エゴ）に女は貞操の危機を感じてしまい、逆に心を閉ざしてしまうんだということ。
納得！！！ 
恋愛苦戦中の貴方、一見する価値ありですよ。
まさに時間を忘れて読んでしまいます。
１人の平民が、ナポレオンのように立身出世を目指す物語です。
ちなみに赤というのはフランス軍の軍服で、黒というのは宗教関係者の着る衣装の色です。
赤と黒のどちらかで出世しようと懸命に頑張る主人公。
最後には、衝撃的な結末が待っています。
まさに傑作と言える１冊です。一昔まえ、岩波から出ている赤と黒を読んでいて、途中で挫折した苦い経験を持っていた私ですが、これは漫画だけあってすらすら読めました。
内容も物語の主要な部分を上手に消化していて、特に不整合なところも無く、よくまとまっていると思います。（きちんと小説を読んだ方は、納得のいかないところもあるかも知れませんが…）ナポレオン主義の主人公と言えば、古典文学にはよくありがちですが、自分の学識だけでなく、色気をもって、貴族界での立身出世を狙う野心家の主人公は大変ユニークでしびれました。
 ちなみに今回は絵が段違いにきれいになっています。このシリーズのちょっと癖のあるところが私はなんだか苦手だったんですけど大分それも無くなって、見やすくなっています。これからにも期待したいです。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/18/4003363922.html">
<title>ツァラトゥストラはこう言った 上 岩波文庫 青 639-2</title>
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<dc:date>2008-11-20T07:39:17+09:00</dc:date>
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<description>ニーチェは、人を衝き動かしてきた意志というのは、力への意志だったと説きます。 すなわち、自らを権威あるものとして、他人を屈服される力を持とうとする意志です。 この意志を元に、人々は権威を形作り、それ...</description>
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<![CDATA[
ニーチェは、人を衝き動かしてきた意志というのは、力への意志だったと説きます。 すなわち、自らを権威あるものとして、他人を屈服される力を持とうとする意志です。 この意志を元に、人々は権威を形作り、それは、善悪の基準付けを行ってきました。

しかし、この意志を持つ人間は弱い存在でした。 だから、同情、隣人愛を自らを権威あるものとするための道具としました。 その産物が国家であり、キリスト教であり、神であったとニーチェは喝破します。 このような弱い人間というのは、動物と超人の間にかけられた橋のような、過渡的な存在であり、乗り越えられないといけない存在なのであると、ニーチェは考えました。

人間がこれまでの弱い人間を乗り越えるとき、神とその愛、同情により作られていた世界観は終わりを告げます。 ニーチェはこれを、「神は死んだ」と表現します。 神の死んだ世界で生きていくのは、人間を乗り越えた超人です。 この超人は、意志、自由、創造力、孤独、自分自身への愛といった特質を備えた人間です。 同情されなくても、他人に思いやられなくても、生きていける存在。


キリスト教的な世界観をもっていた時、人々は、自らの人生の終焉を、審判の日とそれ以降の天上での生活に落ち着ける事が出来ました。 しかし、それら世界観が崩れたとき、大きな精神的危機が襲いかかってくることになります。 ニーチェは新たにとって変わられる世界観は永劫回帰とよばれるものだと考えました。 これは、生がまるで何回も同じ場面を繰り返していると考える世界観です。 

事実、この永劫回帰の世界観に陥ることは、現代における無宗教で「自分主義」の人々にとって深刻な問題なのではないかと僕は思います。 信じるものは無い、生はただ進むことのないルーティンでしかない、となれば、人生が虚無に思えてきます。 

このような、神から脱却したのちにも虚無に陥らないための方法としてニーチェが主張した事は、自らと自らの人生を愛することでした。 もし自分の生が永遠の円環の輪の中で逃れられないものなのだとしたら、その人生を受け入れるためには、この永遠の円環である人生を愛さねばなりません。 他人への愛は、その自分への愛の中にこそ存在するべきものなのだとニーチェは考えたようです。 そして、本書の中では、その自分を愛することから得られる喜びがうたわれています。


本書その他を読む限りでは、「人間は乗り越えられなければならない」というのは、ニーチェの価値判断であり、論理的な帰結ではなかったように思われます。 でも、本当に乗り越えられないといけないのでしょうか。 人間の持つ弱さを抱いて、お互い弱さを援け合いながら生きることは、それはそれで素晴らしい人生なのだと僕は思います。 （ごめんなさい、でもこれはこれで僕の価値判断です）

ニーチェが、吐き気を催すような奴隷道徳と批判しようと、人間の弱さというのはそんなに簡単に変わるものではないので、今は、自らを超克することを考えつつも、周りの人と援けあって生きていくことこそが一番なのだと思います。 もっとも、1000年後には、分かりませんが。

（ ＝ω＝.）＜ニーチェ君、あんな熱烈なラブレターを貰ったの初めてだったからビックリしたョ。書き出しがネ申が死んだだなんて、なかなかセンスあるね。 
創世のアクエリオンみいじゃん。 

（；//Д//）＜ちょっと、フリードリヒ、こんな手紙を出されたら、て・・・照れるじゃない・・。 
後半はよくわかんなんかったケド、思いだけは伝わったわ。ありがと・・・。 

('・ω・｀)＜ニーちゃんが良かったら、私・・・その・・・(もじもじ) 

( ○ )＜良かったのか？ホイホイついてきて、俺はどんな哲学者だって吸いこんぢまう男だぜ・・・・。 
神は死んだ、から始まり生きるための哲学を説く。しかしながら、
・多様性を認めない（これは一神教の最大の欠点である）
・基本思想として男尊女卑である。
・自らの思想について断定をしている。
どんな思想家も自分の土台となる基本概念から抜け出せないのだなと
思った。いかにもゲルマン的な哲学を引きずっている。名作であるが、
名作から抜け出せない感がある。
哲学を学びたいのであれば、現代哲学に関する本がいいだろう。
あくまで読み物として、自分の価値観と対比して、それに反証
することを考えていくのがいいだろう。「西遊記」は、精神的求道の象徴たる若い僧侶が、肉体的欲望（煩悩）の象徴とも言える動物的妖怪たちを連れて、真理を求めて旅する話です。
しかし、真理とはどこか遠いところにあってそれを探しに行くのが学問や宗教などの道であるという考えは、「青い」。ガキだ。
真理は私たちの中にある。シオランのアフォリズムにも「四十歳にして知ったことを私は二十歳の時に既に知っていた。ああ、なんとも無くもがなの二十年・・・」というのがある。つまり、私たちは最初から山の頂上にいるのである。
そのような悟った地点から書かれたのが、この本です。皆さん、この訳は判りやすくていいだとか、最高だとか書いてあるけれど、
私はとてもそうとは思えません。

判りやすいのは同感。
読みやすいのにも同感。

訳者が注訳なしでわかるよう努力したのもまぁいい。

ただ軽すぎる。
あまりにも言葉や言い回しを簡単にしたあまり
完全な散文になっている。
それをニーチェの文章と履き違えてしまっては困る。

本当に深く読みたいなら
読みやすいだけではダメです。
あれで理解した気になるのは間違いです。

お勧めは新潮文庫の竹山道雄訳。

多分、訳者の解釈云々などの根本的な問題でなく、
哲学であり、小説であり、詩であるこの作品の内容を
うまく表現できていない訳者の文章力不足かと。

はっきり言ってヘタです。
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<title>百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))</title>
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私がこの本を読んだのはもう10年以上前ですが、今でもその時の感動は忘れません。
どなたかもレビューで記述しておりましたが、文学というモノがここまで可能性があるのか!!!と知らしめてくれたのがこの本です。この本は「奇跡」というにふさわしいと思います。おそらく書いた本人も驚くほどの完成度なのでは（笑）。Gマルケスの文学は総じて好きですが、百年の孤独一冊でノーベル賞を取るに足る、と思われます。すばらしい。「セルバンテスの再来」などと当時もてはやされたようですが、ドンキホーテよりもこちらの方が素晴らしいと私は思います。間違いなく20世紀では最高の文学だと思います神業。これは久しぶりに面白い小説を見つけた。

実は数年前から気になってはいたが、冒頭の改行のない、えんえんとつづくジプシーたちの珍妙な品々についての説明に「これは片手間に読める本じゃないな」と思って見送ったのだった。
せっかく秋なので、腰をすえて読むことにしたら、重々しい文学作品というより、まったくのエンターテイメントに近い。楽しく、するすると読み終わってしまった。
たぶん私にはよく合った本だったのだろう。
ジョン・アーヴィング的な予想を裏切る展開と、時間を超越したところからの伏線が巧妙で楽しい（まず冒頭の「のちに大佐が銃殺隊の前に立つはめになったとき、彼ははじめて父親とともに氷を見た時のことを思い出した」云々からはじまるストーリーなど、秀逸である。歴史小説によくある「これがのちの――である」という感じのネタばれが好きな人にお勧め）
さらに面白いのは、非現実的要素が、現実的要素と同レヴェルのリアルさで描かれていることだ。
長いこと雨が降ったせいで、開いたドアから魚が泳いで入ってくるぐらい、空気が水分を含んでいた、という描写なんかわくわくしてしまう。さらに死んだ人間も普通にうろうろする。
そういうファンタジーな要素が随所にありながら、物語はどこまでもリアルで、悲劇的で（コミカルな部分もあるが）頽廃的で、孤独だ。登場人物はみな頑なで、自己中で、ほぼみんな名前が似ているにも関わらず、バラエティーに富んだ孤独な人生を歩む。
一族の運命をまるまる体験する、というのはなかなか興味深い。登場人物ひとりひとりあれほど強烈でありながら、死んで忘れられていく虚しさが胸にせまる。

中上健次の『千年の愉楽』と確かにいろいろ似ていると思った。
ただ、もっと悲劇的で頽廃的で毒々しいというなら、さらに日本独特の美しさとおぞましさに酔うなら、中上のほうを個人的にお勧めする。責任はとらないが。南米の架空の町、マコンドの草創、隆盛、衰退そして滅亡するまでの百年を
町を開拓したブエンディア家を中心に描いた傑作。
チョコレートを飲んで空中浮遊する神父、四年以上も降り続く雨、異常に繁殖する家畜など
非現実的なエピソードと超人的な登場人物たちによって綴られる不思議な神話の様物語に
自然と引き込まれてしまう。
この百年あまりの物語に誰もが圧倒されてしまうのは、
そこに人間の歴史の全てが凝縮されていると感じるからではないだろうか？
私が本書を読みながら気になったのは、「ノストラダムス」という名前が何度か出てくるところ。
そのノストラダムスの秘法を心得たメルキアデスによって羊皮紙に記された
予言通りにマコンドは滅亡へと向かっていく。
我々の現実世界では、世紀末を乗り越えた現在、
ノストラダムスの予言を信じているものはあまりいないと思うが、
本書が書かれた６０〜７０年代頃は結構真剣に論じられていた事を思い出させてくれる。

もし出版社に良心があるのなら、いい加減本書を文庫化して
この傑作をもっと多くの人が読めるようにしてあげるべきだと思うのだが・・・ガルシア＝マルケスをある程度読んでいて、彼の作風を知っている方なら知っていることだが、彼の小説はストーリーよりも、描写が重視される、ということは、承知なさっているであろう。私も、「族長の秋」「幸福な無名時代」「エレンディラ」など、「予習」をしてから本書に取り掛かった次第だった。
期待はまったく裏切られなかった。滑稽かつ珍妙な描写の詰め合わせである。馬を殺せるほどのストリキニーネを飲んでしまっても死なない人が出てきたりするのだから。タイトルこそ「百年の孤独」だが、これを読みふけっていて、時間の経過なんか、これっぽっちも感じなかった。おしまいあたりで気がついたのだった。
もし、ガブリエル・ガルシア＝マルケスが画家になっていたら、ピカソ級の珍妙な絵画が作れたのではあるまいか。ブライオン・ガイシンが昔「小説は絵画よりも５０年遅れている」という類の発言をしていたのを思い出してしまった。ただの文字の羅列なら誰にでもできるであろう。だが並の人間の感性では、ここまで緻密、かつ滑稽な戯画を、文字では表せなかったのではあるまいか。
ただ、ストーリーが云々、と書いたが、よく読んでみると、人物描写がよくできているのに、気がつくだろう。誰が主役だ、といいきれないほど、個性的な人間がたくさん出てくる。それも、もちろん滑稽な描写にまみれているが。人物の描写も、小説全体の戯画にも、どちらを重視する方も（そして、両方を求めている方にも）お勧めできる。これがラテンアメリカ文芸なのか、いや・・・「これがガルシア＝マルケスである」と。
この世界は広くて複雑だ。それを感じさせてくれるのがガルシア＝マルケスであり、この「百年の孤独」なのである。レビューに触発されて買ってしまいましたが、なるほどこれは確かにすごい。
文学、音楽、絵画、映画、建築…とあらゆる芸術体系がありますが、この作品は「文学が可能な芸術表現の極み」に達しています。文学ってものがここまですごいとは思いませんでした。
まさに一読の価値あり。高いですが損はしません。私は図書館で借りて読んだのですが、手元に置いておきたくて結局現物を買ってしまいました。中古が出回っていないことからも、この本の質の高さが良く分かるかと思います。
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<item rdf:about="http://7bookshop.bestbook-shop.com/detail/20/4872579321.html">
<title>リア王 (まんがで読破)</title>
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<description>最後のクライマックスで号泣しました。ネタばれしない程度にレビューを一言。
本書より引用「人間はみんなこの茶番の劇場に泣きながら生まれてきた」
この作品は小説では読んだことがないのですが、あまりにも感...</description>
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最後のクライマックスで号泣しました。ネタばれしない程度にレビューを一言。
本書より引用「人間はみんなこの茶番の劇場に泣きながら生まれてきた」
この作品は小説では読んだことがないのですが、あまりにも感動したので原文を読んでみました。漫画で読むなんて邪道かも知れませんが、はっきり言って漫画の方が訴えかけるものが多いです。とても崇高な作品です。30分程度で読めるので是非読んでいただきたいです。
いわゆるキャラクターものの漫画ではないのでとても新鮮に読むことができます。
憎しみ、裏切り、権力争い、階級制度といった人間のゆがみを全面に押し出し、それが最後に死によって昇華され、完結するのです。愛と死は表裏一体だということが良くわかりました。登場人物の描き方が上手で、親しみやすいので是非そのほかのシェークスピアの作品を漫画で出版してほしいです。あまりにも悲劇過ぎるのでハンカチを用意されたほうがいいです。絵はきれいなんだけど。
話がとびとびで、理解に苦しむ。
あまり伝わらない。シェイクスピアというのは、ロミオとジュリエットを書いた人ということしか知らなかった。
でも、この作品もかなりおもしろい。
お金・土地・権力などを通して、いろいろな人物が交錯する。
要約すると、引退した王様の後継者争いの物語である。
「人間はみんなこの茶番の劇場に泣きながら生まれてきた」という言葉が心に残った。
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